2/28/2011

「私の英語学習歴」〜 大学入学以降

大学に入るまでで、かなりの分量を書いてしまったので分けてみた。ここからは、受験に縛られず、好きなことをやったことの記録です。あと、人生の転機となること(そんな大げさではないが)も起こったし。すべては英語を勉強するようになったからw。ただ、結構前のことなので、記憶が曖昧のところがある。何をしたかは覚えているけど、いつしたのかを余り覚えていなかったりする。まあ、誰も本当のことは知らないから、それでもいいとしよう。

大学入学後

前回ちょっと書いたが、理系だったので、素直に理系の大学に入った。英語に興味はあったけど、文系の他の教科があんまりだったのと、英語で何がしたい?というのがよくわからなかったから。英語の勉強を始めるのが遅すぎた、とも言う。

大学に入ってしばらくは、たいして勉強をしなかったが、結構厳しい大学だったので、専門の勉強はしたが、英語はほとんど勉強しなかった。英語のクラスは、基本的に訳読だけで、順番が回ってくるところだけ訳せばいい、というよくある物だった。相変わらず、Star Warsは見ていたし、この頃には、Back to the FutureとかIndy Jonesとかも好きで何回も見ていた記憶はある。

大学二年の後半か三年になるころ、やっぱり映画で何言ってるか聞き取れるようになりたいなぁ、という思いが、繰り返し好きな映画を見ているうちに、また強くなって、英語を勉強し直そうと思った。でも、受験勉強みたいなことはしたくなかったので、ヒアリングマラソンというのを始めてみようと思い立った。

当時、電車で一時間くらいかけて通学していたんだけど、電車の中では音楽を聴いていた。で、その時間を英語の勉強に使うことにした。朝は、ものすごいラッシュだったので、とりあえず聴くだけで、帰りに余裕があれば、テキストを見ながら聴いたりもした。毎月新しい教材が送られてくるので、最初は少しテキストを見るが、後は聴いているだけが多かった。

ヒアリングマラソンにいろいろ勉強法なんかが書いてあったが、その中で、シャドーイングなるものがあったので、それを試したりもした。ただ、電車の中で聴いていただけなので、声を出す訳にも行かず、口をモゴモゴ動かすくらいだった。この電車の中でシャドーイングのおかげで、音を聞き取る力が伸びた気はしたけど、ちゃんと声を出していなかったせいか、発音は適当だったように思う。まあ、発音を確認するとかは特にしなかったし、あくまでも自習だったので、人に直してもらうこともなかった。

ヒアリングマラソンは、専用の教材とEnglish Journalがセットになっていて、教材の方は、コントロールされたはっきりとした英語、English Journalの方は生の英語だった。シャドーイングもどきは、教材の方はできる物もあったけど、English Journalの方は、とてもじゃないけどついていけない、という感じだったのは覚えている。この時は、ある程度発音がきれいで分かりやすい物を選んでから、テキストを見て意味を理解してから、何回も繰り返し聞いて、少しずつ練習していったんだけど、なかなかうまくはいかなかった。ただ、たくさん聴いて、曲がりなりにもシャドーイングもどきを試したことで、英語のリズムというのが少しは身に付いたような気もした。

これと同じくらいの頃、英語の本も読んでみよう、と思い立った(なぜそう思ったか、はっきりとは覚えていないけど)。実は、大学入ってしばらくした頃に、シドニーシェルダンの原作本を読んでみようと思ったことがあった(「ゲームの達人」だった気がする)。まあ、これはイングリッシュアドベンチャーをやったので、それに影響されていたのと、他に作家を知らなかったから。その時は翻訳された物は読んだので、読んだら分かるんじゃないだろうか?と考えんだけど、挫折した。いきなり英語の原作本は、内容が分かっていたとしても無理だった。ペーパーバックの一ページにわからない単語があちこちにあって、辞書を引いていたら時間がかかりすぎて、とてもじゃないけど読んでいられなかった。

それで、一度は挫折した本を、読めるところだけでいいから、という思いで読み始めた。たしか、翻訳本をもう一度読み直してから読んだ気がする。最初はなかなか進まなかったが、分からないところは本当に大胆に飛ばすようになってから、進むようになった。で、読み進めると、結構読めてくるから面白くなって、さらに先に進む、という好循環が生まれた。まあ、これも直前に翻訳本を読んで、まだ内容を覚えているうちにやったから、ああ、これはあの場面だ、とか思いながら読んだ覚えがある。ただ、一冊読むのにかなりの時間をかけた気がする。

転機は突然やってくる

大学三年の時だが、ここで、これまでの人生最大の転機が訪れた(と思っている)。きっかけは一冊の本だった。今は阪大にいらっしゃる日野先生の「トーフルで650点 私の英語修行」という本だったのだが、これで音読というものを知り、国際語としての英語という考え方があることを知り、英語教育への思いが伝わった。で、音読なる物を試し始めたりしたのだが、それよりも、何を思ったか、英語教育に携わりたい、と思うようになった。まあ、大学での勉強に行き詰まっていたというのもある。まあ、実際、道を踏み外すきっかけになった。

もう一冊、酒井先生の「どうして英語が使えない?「学校英語」につける薬」という本にも影響を受けた。本の内容については、まあ、どうかと思うところもあるが、多読という考え方が新鮮で、これをきっかけに、簡単な本を読むことを始めた。この本はその当時出たばっかりで、易しい本をたくさん読む、なんてのは、他ではあまり見たことがなかった。

まあ、もろに影響を受けて、まずは、Charlie and the Chocolate Factoryを手始めに、ロアルドダールの本はほとんど読んだし、ムーミンとか、オズの魔法使いとか、そんなのも結構読んだ。これが、自分にははまった。以前読んだ時は、読んだという達成感はあっても、内容をちゃんと英語で理解したか半信半疑だったけど、日本語訳を読まないでも理解できるレベルの本を読んで、本当に読んだ、という実感が沸いた。といっても、家でじっくり読むようなことはせず、帰りの電車で読んでいただけ。だから、辞書を引くことはなかった。

そのうち、ある程度読めるようになってから、もう一度シドニーシェルダンを読んでみたら、結構読めるようになっていた(相変わらずわからない単語は多かったが)ので、シドニーシェルダンの他の本も読んでみた(翻訳本を読んだものもあったけど)。その後、シドニーシェルダンに飽きて、ジョングリシャムやマイケルクライトンなんかも読んだ。The firmとかJurassic Parkとか、電車の中でドキドキしながら読んだのは覚えている。Jurassic Parkの原作は映画よりも怖くて、本当に脈拍上がる、という体験を、本を読みながらした。

これ以外にも、洋画(アメリカ映画)をいろいろ見た。映画館に行って見ただけでなく、ビデオ、しかも字幕のないやつとかを見た。ただし、字幕無しで見ても、たいして分かっているわけではなかったけど。でも、好きな映画は相変わらず繰り返し見た(十回以上見た映画とかStar Wars以外にも結構ある)。

で、四年になる前に、自分がしたいのは何かを真剣に考えた。まあ、いろいろあったのだが、結局、英語教育を選んだ。三年のときに、ずっと悩んではいたのだが、そんな選択を認めてくれて、支援してくれた親には頭が上がらない。

で、じゃあ、英語教員を目指すには、しゃべれるようにもならないとだめなんじゃないか、ということで、英会話学校なる物にも通い始めた。それまでは、英語を勉強していたが、自分だけで完結していて、英語を話す機会など、ほぼ無いに等しかった。英会話学校に通い始めて思ったことは、先生(カナダ人)は、いつも日本人の生徒に対して(わかるように)しゃべっているから、その先生が言っていることは大抵わかるし、自分も何となくしゃべれるんだなぁ(意味は通じたというレベル)、ということ。まあ、ここまでそれなりに自習したことの成果もあったかと思うけど。

ただ、英会話学校は勉強する場ではないな、と思った。普段勉強していることを練習する場だな、と。他に英語を使う場があれば、わざわざお金を出す価値はないかな。プライベートレッスンが受けられるようなお金があれば、また話は変わると思うけど。あと、それまで、英会話などほぼしたことがなかったのに、自分のしゃべっている物が英語として認識されている、というのがうれしかったのは覚えている。

そうなってくると、自分の英語の力がどれくらいなのか客観的に知りたかったので、TOEICなる物を受けてみた。特にTOEICに向けて勉強することもなく、一度どんな問題が出るのか、模擬テストみたいなのをやっただけで受けた。たしか600点ちょっとだったと思う。まあ、たいしたことはなかった。あ、ちなみに、英検は未だに受けたことがない。中学の時とか、クラス単位で受けていた気がするが、英語嫌いだったので、クラスで受けなかった二、三人の内の一人だった。

大学四年になって、さすがに即留学に行けるほどの英語力もなかったので、二度目の受験勉強をすることになった。といっても、目指すは編入でほとんど英語中心だったけど。それまで、大学での英語の授業はよくある文法訳読で、ほとんど役に立った気がしなかったが、四年のときに取った選択英語のクラスが、人生で始めて役に立ったというか、おぉ、と思ったクラスだった。といっても、授業がすごかった訳ではなく、課題がすごかった。

そのクラスでは前期と後期で一本ずつ映画を選んで、毎週10分から15分くらいカセットに音声をダビングして渡され、それを書き起こすという物。授業ではそれの確認と、次の週の課題の部分を見るだけだったが。これで使った映画が、前期は「
サウンドオブミュージック」、後期がヒッチコックの「鳥」。10分くらいの書き起こしをするのに何時間もかけた覚えがある。ただ、これをすることで、かなり力がついたように思う。

それで、自分が好きで見ていた映画を書き起こすこともした。ただ、ものすごく時間がかかったので、何度も見て内容をほとんど覚えているくらいの物で、当時出始めたスクリプトが手に入る物にした。具体的には、Back to the Futureとかそんなあたり。四、五本はやったと思う。音だけに集中したかったので、カセットテープに音声を落として(今ならパソコン使うよねぇ)、それをひたすら繰り返して書き起こす作業を続けた。いわゆるディクテーションってやつ。

映画のディクテーションをやって思ったことは、しゃべってる人は全部の音を出してないということ、聞き取るには単語力と文法力がものすごく効いてくるということ、あと、映画とかは、ある程度背景知識とかもないと、何のことかさっぱりわからんということ。特に授業でやった「鳥」はエグかった。

で、夏休みに、短期の語学留学というか、ホームステイプログラムに参加した。昼間は日本人で集まっていたので、たいして英語を使わなかった気もするが、英語しか話さないホストファミリーの家で過ごす、というのは、貴重な体験だった。会話は、英会話をしていたこともあり、簡単なことは言えて、ものすごく意思の疎通に困ったということはなかった。でも、ちょっと話が弾むとついていけなかった。唯一たくさん話せたのは、映画に関すること。英語もやはり言語なので、話せるには、共通の話題があるとかいうことが大切になると実感した。あと、話すことに関して知識と単語があることも。

これ以外に、英語についてではないんだけど、日本のことを聞かれて、いろいろ日本のことを分かっていないことも気づいた(みんなが通る道)。当たり前だと思って考えもしなかったことが、日本で生活していない人には当たり前じゃないんだということが分かったことも大きかった。

あと思ったのが、留学するにしたら、その前にちゃんと英語を勉強することが大切だということ。留学したら英語ができるようになる、とかいうのをよく見るけど、たいして英語が話せないうちに行っても、時間がもったいないと思う。長期に行けるなら、話せなくてもいつかは話せるようになっていくから、それはいいし、異文化、異国を体験するのが目的なら、それもいい。ただ、数週間しか行けなかったりするなら、日本にいてできることをしてから行ったら、できる体験がまったく違った物になると思う。

この後は、無事に英語教育のできる大学に行けることになり、そこでアカデミック英語の授業を受け(始めて英語で文章を書くという体験をしたw)、言語学、応用言語学、英語教育などの専門のクラスは、テキストは全部英語、中には授業も英語、なんてのをこなしていくうちに、多分英語力は伸びたんじゃないかと思う。ある程度英語力がついたら、英語で何かをした(学んだ)方が伸びるんじゃないかなぁ、というのは、この辺りからの体験が影響していると思う。

で、卒業後は、英語教師になろうと思っていたんだけど、大学でお世話になった先生に影響を受け、自分には中高の教員よりも、大学の方がいいという助言を真に受けて、アメリカでTESOLのMAを取り、そのままアメリカで応用言語学のPh.Dに進み、最後は日本に戻って博論を仕上げ、この春から大学英語教員、ということになりました。

結局、自分は英語ができる、という実感のないまま今に至る。ある程度できると感じ始めてから行ったところは、帰国子女や留学経験ある人たちがいっぱいいたし、留学したらしたで、他の留学生は流暢に英語を使うし。はぁ。

とりあえず、長々と書いた。疲れた。最後の方は端折ったけど、それは、学習歴とはかけ離れていく気がするので、ということで。あ、ちなみに、Star Warsの英語は今でも難しいです。

0 件のコメント: