4/20/2013

Charlie and the Chocolate Factoryの英米版単語対応リストを作ってみた

ちょっと、Charlie and the Chocolate Factoryを扱う機会があって、いろいろゴチャゴチャ調べてたので、忘れないようにメモしてみる。

日本で普通に買うと、アメリカ英語版だし、自分もアメリカに居たので違和感はなかったんだけど、いくつかは、これはアメリカ版なんだなと思うところがあったので、どれくらい違うのかをちょっと探ってみた。

単なる対応表なので、どこに出てきたかとかいう情報はない。普通に綴りが英米で違う物が多いけど、単語自体が違う物があったり、なぜかUSなのにUK綴りっぽかったり、どういう基準で変更されてるのかもよくわからない。タイポとかもあるかもしれないし、いろいろプロセスの途中でエラーがあるかもしれないので、なんか見つけたら訂正するかも。

この他にも、US版には、UK版にない単語や文が挿入されている物もあるけど、そういうのはリストに載せてない。


USUK
a littlelittle
a piece of paper that was lyingsomething silvery lying
a quitequite
as proud as can beas proud as anything
bannistersbanisters
bitebit
good-bygood-bye
calledcalled out
candiessweets
candychocolate, sugar, sweet(s), minty sugar
candy bar(s)bar(s) of chocolate
candy barwrapper, chocolate
candy barsWonka bars
candy makingconfectionery
centercentre
charlie bucketcharlie
chocolate candy barbar of chocolate
coattailscoat tails
color(s)colour(s)
coloredcoloured
crazykeen, toy, mad
crazy candy barschocolate bars
crazy forcrazy about
creamy candy barsbars of creamy chocolate
crummyrotten
curbkerb
dimesfive penny pieces
directionsdirection
dollarfifty pence
dollar billfifty pence piece
dollar billfifty pence
dollarspounds
down riverdownriver
draftsdraughts
dumfoundeddumbfounded
elevatorlift
elevatorcontrol
elevatorfloor
everyoneevery
fellersboys
five hundred dollarstwo hundred pounds
five thousand dollarsa thousand pounds
flavor(ed)flavour(ed)
foreverfor ever
garbagerubbish
gobstoppergob stopper
goofysilly
gottengot
gotten out of handgot out of hand
grab me a squirrelget myself one
graygrey
grownup(s)grown up(s)
gumchewergum chewer
guttummy
heckblazes
honest truthtruth
honorhonour
horns out ofhorns on
hypnotisedhypnotized
iceboxrefrigerator
in England the famous scientistthe famous English scientist
in tointo
jeepersgoodness me
jeeperscrikey
jointplace
kiddobaby
knuckle dustersknuckledusters
laid off the gumgave up gum
lookedlook
madfurious
marketingshopping
marvelous(ly)marvellous(ly)
milliona million
moviecine
nearbynear by
nightsnight time
oh boygosh
ontoon to
overexcite(d)over excite(d)
packsbits
pajamaspyjamas
pitchpitchy
psp.s.
real good spankingreally good spanking
recessbreak
rightvery
right backback
rowboatrow boat
shovelingshovelling
shriveledshrivelled
sidewalkpavement
smelledswelled
startedstared
stenciledstencilled
storeshop
sweetshopssweet shops
switched to candystarted on chocolate
tee-rifficfabulous
ten centsixpenny
ten cent piecesixpence
thethen
the heckon earth
therehere
togo
towardtowards
trodtrodden
turning aroundturning round
uponon
well sirwell
what do you knowwould you believe it
windbreakerwindcheater
Wonka candy bar(s)Wonka bar(s)

3/10/2011

「私の英語学習歴」〜 別の道に迷い込んでから

ここから先は、自分で英語を勉強したというよりも、授業で英語を勉強するとか、英語で勉強することが多くなって行くんだけど、その辺りも、一度振り返るのもいいかな、ということで、続きを書いてみる。まあ、英語学習というのからは離れて行ってしまうので、英語学習の参考になるようなことはほとんどないと思う。

2つ目の大学

形の上では編入ということで、2つ目の大学に入ることになった。専攻は英語。編入だったけど、試験は一般入試と同じだったので、気分的には普通に入学したのと同じ感じだった。専攻もまったく違ったので、認められた単位も一般教養の一部くらいだったし。

この大学は、一年次にインテンシブの英語プログラムがあり、週に何時間も英語のクラスを取った。最初のクラス分けで上の方になってしまったので、帰国子女の人たちに囲まれて、英語がしゃべれない悲哀を味わった。

また、この時、始めてエッセイライティングなる物に出会った。それまでは、英語はインプット中心でアウトプットがほとんどなかった(英会話のときにしゃべるくらい)ので、エッセイを書くと言われても困った。しかも、何の間違いか、上の方のクラスに入ってしまったので、サマリーの書き方とか、パラグラフライティングの基礎、なんて所をすっ飛ばして(多少はあったが)、エッセイを書くという段階に入ってしまった。とはいえ、今から考えると大した長さでもないんだけど。

ライティングは、二年次にもクラスを取ったが、基本的にはプロセスライティングだった気がする。一年次のクラスでは、エッセイの大まかな構成についての話はあったが、ディスコースマーカーとかに重点を置いて、という感じはは余りなかったような気がする。とはいえ、昔の話なので、あったけど覚えてないだけかもしれない。

リーディングのテキストは、普通にというか、ペーパーバックだった。いわゆる日本人向けに作られた英語の教科書とかではなく、アメリカの大学一年生に読ませるような本だった気がする。まあ、読んでてわけ分からなかったことだけは覚えている。

これと平行して、専門の基礎クラスなんてのも取っていたけど、言語学入門のクラスのテキストが、いきなりFromkin&Rodmanだった。これまた面食らって、最初の頃はさっぱりわからなかったのを覚えている。ただし、授業は日本語で行われていたので、やっていること自体は全く分からなかった訳ではなかったが。

これ以降も、言語学、応用言語学、言語教育のクラスを取っていったのだが、日本語構文と日本語教授法以外の専門のクラスは全て英語の教科書だった。クラス自体も、アメリカ人の教授が英語でというのをいくつか取った。ただ、一番大変だったクラスは、生成文法のクラス。x-bar theoryまでしかなかったし、日本語での授業だったが、アメリカのいいとこの大学で教えた経験がある先生らしく、ものすごく大変だった。そうそう、RadfordのTransformational Grammarという赤い本だった。

ここまで読んで分かるように、学校絡みでは、英語を勉強するという意識がどんどん薄れて行って、英語「で」勉強するという形になった。まあ、専門が専門だけに、英語についていろいろ学んだのではあるが。

学校絡みで英語にたくさん触れていただけに、それ以外では趣味で英語に触れるくらいになった。字幕のないアメリカ映画を見たり、あとは、CBSドキュメント(今でもあるのか?)という、アメリカCBSの60 minutesを放送する番組やNBAの試合を英語の音声で見たりとかしたくらい。

この他にも教職を取り、教育実習に母校に戻ったのだが、英語をできない頃を知っている担任が指導教員になり、自分の記憶では文法訳読しかしてなかった気がするのだが、イギリス研修に行って英語で教えることに目覚めて、実習の授業を英語でさせられたり、AETとのティームチーチングをさせられたりとかあった。

専攻が英語だったため、卒論は英語で書くことになっていたのだが、指導教官が途中で辞めてしまって、路頭に迷い、別の指導教官を選んで、トピックを代えてみたものの、しっくり行かず、そんな中で取った言語テストのクラスで、これだ!とか思って、そのクラスの先生に相談してまたトピックを代えることになった。しかも、卒論提出の3ヶ月くらい前。ま、書き終えはしたが、指導教官にほとんど相談もせずに勝手にやったので、成績は見るも無惨な物だった。

卒業後は高校の英語教員をとか考えていたが、お世話になった先生や、英語クラスの先生に進路相談し、大学の方が向いていると説得され、しかも、留学しなさいとか言われてその気にあり、英語教育で行きたかったので、アメリカのTESOLでいいところは何処かを聞き、卒業後はTESOLで留学ということになった。

留学

まあ、この先も、英語教育について英語で勉強したので、自分のための英語の勉強とは思っていなかったが、教えるための英語の勉強はしなくてはいけなかったので、結局自分の英語の勉強にもなった。ただ、文法のクラス以外は、勉強法・教授法の勉強だったかと思う。で、文法のクラス(pedagogical grammar)で参考書として使った本でThe Grammar Bookというのがあるが、これは英語の先生にはぜひ一度目を通してほしいなぁ、と思う。持っていて損はない本かと。

MAで一番大変だったのは、curriculum developmentのクラス。needs analysisから始まって、カリキュラムを作り、ひとクラス分の授業計画やら、最後のアセスメントまでを考えて書く。しかも、それぞれについて理論的な裏付けを求められたので、その辺りも考えて書く、と。加えて、大量のリーディングがあったし。教材なんかも含めて、100ページ以上の大作が出来上がる、と。しかも、クラスのほとんどの学生がそれくらいの量を書いていたんだから、いかに大変なクラスだったか。まあ、今考えると、内容自体はたいしたことなかったりするのだが、その頃はそれでものすごく大変だった。

MAの時に唯一英語自体を勉強するクラスだったのは、ライティングのクラス。行った大学では、留学生も含めて、全ての大学院生がエッセイテスト(同じ物)を受けて、それに落ちるとライティングのクラスを取るということになっていた。留学生はほとんど受からなくて(周りでは一人しか知らない)、留学生ばっかりのライティングのクラスだった。そこでは、接続詞をどうやって使うかなど、実際に文章を論理的に書いて行くために必要な技法なんかもやった記憶があるが、細かいことは覚えてない。全体的に見るとプロセスライティングという感じだったような気がする。

MAを取った後は、アメリカの別の大学で言語テスト(学部は応用言語学だけど)でPh.Dを取るところまで行って、今に至る、と。まあ、アメリカにいたけど、ルームメイトが日本人だったり、そうじゃなくてもルームメイトも留学生で忙しかったりと、常に英語で生活していた訳でもない。学校を含めて外では英語を当然のように使ってたけど、アパートに帰ったら部屋にこもってたことの方が多かったし。なので、日常会話が一番できない。というか、話すこと全般がだめかな(日本語も含めて)。

2/28/2011

「私の英語学習歴」〜 大学入学以降

大学に入るまでで、かなりの分量を書いてしまったので分けてみた。ここからは、受験に縛られず、好きなことをやったことの記録です。あと、人生の転機となること(そんな大げさではないが)も起こったし。すべては英語を勉強するようになったからw。ただ、結構前のことなので、記憶が曖昧のところがある。何をしたかは覚えているけど、いつしたのかを余り覚えていなかったりする。まあ、誰も本当のことは知らないから、それでもいいとしよう。

大学入学後

前回ちょっと書いたが、理系だったので、素直に理系の大学に入った。英語に興味はあったけど、文系の他の教科があんまりだったのと、英語で何がしたい?というのがよくわからなかったから。英語の勉強を始めるのが遅すぎた、とも言う。

大学に入ってしばらくは、たいして勉強をしなかったが、結構厳しい大学だったので、専門の勉強はしたが、英語はほとんど勉強しなかった。英語のクラスは、基本的に訳読だけで、順番が回ってくるところだけ訳せばいい、というよくある物だった。相変わらず、Star Warsは見ていたし、この頃には、Back to the FutureとかIndy Jonesとかも好きで何回も見ていた記憶はある。

大学二年の後半か三年になるころ、やっぱり映画で何言ってるか聞き取れるようになりたいなぁ、という思いが、繰り返し好きな映画を見ているうちに、また強くなって、英語を勉強し直そうと思った。でも、受験勉強みたいなことはしたくなかったので、ヒアリングマラソンというのを始めてみようと思い立った。

当時、電車で一時間くらいかけて通学していたんだけど、電車の中では音楽を聴いていた。で、その時間を英語の勉強に使うことにした。朝は、ものすごいラッシュだったので、とりあえず聴くだけで、帰りに余裕があれば、テキストを見ながら聴いたりもした。毎月新しい教材が送られてくるので、最初は少しテキストを見るが、後は聴いているだけが多かった。

ヒアリングマラソンにいろいろ勉強法なんかが書いてあったが、その中で、シャドーイングなるものがあったので、それを試したりもした。ただ、電車の中で聴いていただけなので、声を出す訳にも行かず、口をモゴモゴ動かすくらいだった。この電車の中でシャドーイングのおかげで、音を聞き取る力が伸びた気はしたけど、ちゃんと声を出していなかったせいか、発音は適当だったように思う。まあ、発音を確認するとかは特にしなかったし、あくまでも自習だったので、人に直してもらうこともなかった。

ヒアリングマラソンは、専用の教材とEnglish Journalがセットになっていて、教材の方は、コントロールされたはっきりとした英語、English Journalの方は生の英語だった。シャドーイングもどきは、教材の方はできる物もあったけど、English Journalの方は、とてもじゃないけどついていけない、という感じだったのは覚えている。この時は、ある程度発音がきれいで分かりやすい物を選んでから、テキストを見て意味を理解してから、何回も繰り返し聞いて、少しずつ練習していったんだけど、なかなかうまくはいかなかった。ただ、たくさん聴いて、曲がりなりにもシャドーイングもどきを試したことで、英語のリズムというのが少しは身に付いたような気もした。

これと同じくらいの頃、英語の本も読んでみよう、と思い立った(なぜそう思ったか、はっきりとは覚えていないけど)。実は、大学入ってしばらくした頃に、シドニーシェルダンの原作本を読んでみようと思ったことがあった(「ゲームの達人」だった気がする)。まあ、これはイングリッシュアドベンチャーをやったので、それに影響されていたのと、他に作家を知らなかったから。その時は翻訳された物は読んだので、読んだら分かるんじゃないだろうか?と考えんだけど、挫折した。いきなり英語の原作本は、内容が分かっていたとしても無理だった。ペーパーバックの一ページにわからない単語があちこちにあって、辞書を引いていたら時間がかかりすぎて、とてもじゃないけど読んでいられなかった。

それで、一度は挫折した本を、読めるところだけでいいから、という思いで読み始めた。たしか、翻訳本をもう一度読み直してから読んだ気がする。最初はなかなか進まなかったが、分からないところは本当に大胆に飛ばすようになってから、進むようになった。で、読み進めると、結構読めてくるから面白くなって、さらに先に進む、という好循環が生まれた。まあ、これも直前に翻訳本を読んで、まだ内容を覚えているうちにやったから、ああ、これはあの場面だ、とか思いながら読んだ覚えがある。ただ、一冊読むのにかなりの時間をかけた気がする。

転機は突然やってくる

大学三年の時だが、ここで、これまでの人生最大の転機が訪れた(と思っている)。きっかけは一冊の本だった。今は阪大にいらっしゃる日野先生の「トーフルで650点 私の英語修行」という本だったのだが、これで音読というものを知り、国際語としての英語という考え方があることを知り、英語教育への思いが伝わった。で、音読なる物を試し始めたりしたのだが、それよりも、何を思ったか、英語教育に携わりたい、と思うようになった。まあ、大学での勉強に行き詰まっていたというのもある。まあ、実際、道を踏み外すきっかけになった。

もう一冊、酒井先生の「どうして英語が使えない?「学校英語」につける薬」という本にも影響を受けた。本の内容については、まあ、どうかと思うところもあるが、多読という考え方が新鮮で、これをきっかけに、簡単な本を読むことを始めた。この本はその当時出たばっかりで、易しい本をたくさん読む、なんてのは、他ではあまり見たことがなかった。

まあ、もろに影響を受けて、まずは、Charlie and the Chocolate Factoryを手始めに、ロアルドダールの本はほとんど読んだし、ムーミンとか、オズの魔法使いとか、そんなのも結構読んだ。これが、自分にははまった。以前読んだ時は、読んだという達成感はあっても、内容をちゃんと英語で理解したか半信半疑だったけど、日本語訳を読まないでも理解できるレベルの本を読んで、本当に読んだ、という実感が沸いた。といっても、家でじっくり読むようなことはせず、帰りの電車で読んでいただけ。だから、辞書を引くことはなかった。

そのうち、ある程度読めるようになってから、もう一度シドニーシェルダンを読んでみたら、結構読めるようになっていた(相変わらずわからない単語は多かったが)ので、シドニーシェルダンの他の本も読んでみた(翻訳本を読んだものもあったけど)。その後、シドニーシェルダンに飽きて、ジョングリシャムやマイケルクライトンなんかも読んだ。The firmとかJurassic Parkとか、電車の中でドキドキしながら読んだのは覚えている。Jurassic Parkの原作は映画よりも怖くて、本当に脈拍上がる、という体験を、本を読みながらした。

これ以外にも、洋画(アメリカ映画)をいろいろ見た。映画館に行って見ただけでなく、ビデオ、しかも字幕のないやつとかを見た。ただし、字幕無しで見ても、たいして分かっているわけではなかったけど。でも、好きな映画は相変わらず繰り返し見た(十回以上見た映画とかStar Wars以外にも結構ある)。

で、四年になる前に、自分がしたいのは何かを真剣に考えた。まあ、いろいろあったのだが、結局、英語教育を選んだ。三年のときに、ずっと悩んではいたのだが、そんな選択を認めてくれて、支援してくれた親には頭が上がらない。

で、じゃあ、英語教員を目指すには、しゃべれるようにもならないとだめなんじゃないか、ということで、英会話学校なる物にも通い始めた。それまでは、英語を勉強していたが、自分だけで完結していて、英語を話す機会など、ほぼ無いに等しかった。英会話学校に通い始めて思ったことは、先生(カナダ人)は、いつも日本人の生徒に対して(わかるように)しゃべっているから、その先生が言っていることは大抵わかるし、自分も何となくしゃべれるんだなぁ(意味は通じたというレベル)、ということ。まあ、ここまでそれなりに自習したことの成果もあったかと思うけど。

ただ、英会話学校は勉強する場ではないな、と思った。普段勉強していることを練習する場だな、と。他に英語を使う場があれば、わざわざお金を出す価値はないかな。プライベートレッスンが受けられるようなお金があれば、また話は変わると思うけど。あと、それまで、英会話などほぼしたことがなかったのに、自分のしゃべっている物が英語として認識されている、というのがうれしかったのは覚えている。

そうなってくると、自分の英語の力がどれくらいなのか客観的に知りたかったので、TOEICなる物を受けてみた。特にTOEICに向けて勉強することもなく、一度どんな問題が出るのか、模擬テストみたいなのをやっただけで受けた。たしか600点ちょっとだったと思う。まあ、たいしたことはなかった。あ、ちなみに、英検は未だに受けたことがない。中学の時とか、クラス単位で受けていた気がするが、英語嫌いだったので、クラスで受けなかった二、三人の内の一人だった。

大学四年になって、さすがに即留学に行けるほどの英語力もなかったので、二度目の受験勉強をすることになった。といっても、目指すは編入でほとんど英語中心だったけど。それまで、大学での英語の授業はよくある文法訳読で、ほとんど役に立った気がしなかったが、四年のときに取った選択英語のクラスが、人生で始めて役に立ったというか、おぉ、と思ったクラスだった。といっても、授業がすごかった訳ではなく、課題がすごかった。

そのクラスでは前期と後期で一本ずつ映画を選んで、毎週10分から15分くらいカセットに音声をダビングして渡され、それを書き起こすという物。授業ではそれの確認と、次の週の課題の部分を見るだけだったが。これで使った映画が、前期は「
サウンドオブミュージック」、後期がヒッチコックの「鳥」。10分くらいの書き起こしをするのに何時間もかけた覚えがある。ただ、これをすることで、かなり力がついたように思う。

それで、自分が好きで見ていた映画を書き起こすこともした。ただ、ものすごく時間がかかったので、何度も見て内容をほとんど覚えているくらいの物で、当時出始めたスクリプトが手に入る物にした。具体的には、Back to the Futureとかそんなあたり。四、五本はやったと思う。音だけに集中したかったので、カセットテープに音声を落として(今ならパソコン使うよねぇ)、それをひたすら繰り返して書き起こす作業を続けた。いわゆるディクテーションってやつ。

映画のディクテーションをやって思ったことは、しゃべってる人は全部の音を出してないということ、聞き取るには単語力と文法力がものすごく効いてくるということ、あと、映画とかは、ある程度背景知識とかもないと、何のことかさっぱりわからんということ。特に授業でやった「鳥」はエグかった。

で、夏休みに、短期の語学留学というか、ホームステイプログラムに参加した。昼間は日本人で集まっていたので、たいして英語を使わなかった気もするが、英語しか話さないホストファミリーの家で過ごす、というのは、貴重な体験だった。会話は、英会話をしていたこともあり、簡単なことは言えて、ものすごく意思の疎通に困ったということはなかった。でも、ちょっと話が弾むとついていけなかった。唯一たくさん話せたのは、映画に関すること。英語もやはり言語なので、話せるには、共通の話題があるとかいうことが大切になると実感した。あと、話すことに関して知識と単語があることも。

これ以外に、英語についてではないんだけど、日本のことを聞かれて、いろいろ日本のことを分かっていないことも気づいた(みんなが通る道)。当たり前だと思って考えもしなかったことが、日本で生活していない人には当たり前じゃないんだということが分かったことも大きかった。

あと思ったのが、留学するにしたら、その前にちゃんと英語を勉強することが大切だということ。留学したら英語ができるようになる、とかいうのをよく見るけど、たいして英語が話せないうちに行っても、時間がもったいないと思う。長期に行けるなら、話せなくてもいつかは話せるようになっていくから、それはいいし、異文化、異国を体験するのが目的なら、それもいい。ただ、数週間しか行けなかったりするなら、日本にいてできることをしてから行ったら、できる体験がまったく違った物になると思う。

この後は、無事に英語教育のできる大学に行けることになり、そこでアカデミック英語の授業を受け(始めて英語で文章を書くという体験をしたw)、言語学、応用言語学、英語教育などの専門のクラスは、テキストは全部英語、中には授業も英語、なんてのをこなしていくうちに、多分英語力は伸びたんじゃないかと思う。ある程度英語力がついたら、英語で何かをした(学んだ)方が伸びるんじゃないかなぁ、というのは、この辺りからの体験が影響していると思う。

で、卒業後は、英語教師になろうと思っていたんだけど、大学でお世話になった先生に影響を受け、自分には中高の教員よりも、大学の方がいいという助言を真に受けて、アメリカでTESOLのMAを取り、そのままアメリカで応用言語学のPh.Dに進み、最後は日本に戻って博論を仕上げ、この春から大学英語教員、ということになりました。

結局、自分は英語ができる、という実感のないまま今に至る。ある程度できると感じ始めてから行ったところは、帰国子女や留学経験ある人たちがいっぱいいたし、留学したらしたで、他の留学生は流暢に英語を使うし。はぁ。

とりあえず、長々と書いた。疲れた。最後の方は端折ったけど、それは、学習歴とはかけ離れていく気がするので、ということで。あ、ちなみに、Star Warsの英語は今でも難しいです。

「私の英語学習歴」〜 大学受験まで

お祭り会場のトラックバック先 URL: http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20110301/p1

ということで、「英語教育ブログみんなで書けば怖くない!」というお祭りで「私の英語学習歴」というお題が出ているので、自分のこれまでを振り返って書いてみる。ただ、書いていたら、ものすごく長くなったので、受験前と受験以後に分けてみた。あ、ここに書いてあることは、ほぼ自分で勉強したこと(させられたことではない)で、英語の勉強にはこうしたらいいという指南としてではなく、こんなことした人もいるんだ、と思って読んでください。参考になるところがあれば、参考にして、そうでなければ、ふーん、とでも思ってください。あと、誤字、脱字は多いかも。

ちなみに、この春から大学の英語教員になります。

まずは、大学受験までで、それ以降は、「私の英語学習歴」〜 大学入学以降に書きました。

英語学習の参考になるかどうかわかりませんが、このエントリーでは、教科書が読めないレベルから大学受験でそこそこ点が取れるようになるまで、次のエントリー(大学入学以降)では、理系の大学に入ったのに、何を間違えたか、英語教育/応用言語学系で別の大学に行くことになるところまでの学習歴を書いてます。それ以降は、また気が向いたら書いてみます。

中学時代

高校一年までは英語を勉強したという記憶がない。こう書くと、勉強なんかしなくても英語ができた、というようにも取れるが、要は、英語ができなかった。まあ、嫌いだったという記憶が強すぎて、英語を勉強した記憶が全くないということだが、実際ほとんどしてなかった(嫌いだから当然)。

話は中学一年まで遡るが、一学期で思いっきりつまずいて、さらに勉強嫌いなのも手伝って、英語の勉強をほとんどしなかった(他の勉強はしていた、という意味ではない)。文法なんてほとんど分かっていなかったが、カタカナになっている英単語を類推するとか、その辺りの力(test wiseness?)はあったようで、ぎりぎり落ちこぼれる一歩手前くらいだったはず(5段階評価で2とか)。

まあ、「日本人なんだから英語なんてできなくてもいいんだ」と、本気で思っていたし、周りにそう言い切っていた(これは、今でも親にからかわれる)。そんなわけで、洋画も見なければ洋楽も聴かない生活を送っていた。(あと、高いところが嫌いなので、「飛行機なんか絶対乗らない」、とも言っていた・・・。)あ、勉強自体が嫌いだったので、塾は行っていない。

高校時代
とりあえず、高校には入れたが、高校に入ってからも英語ができるようにはならなかった(勉強しないから当然)。ただ、田舎ながら進学校だったので、学年共通のテストみたいなのではっきりと順位が出るようになって、さすがにヤバいと思い(学年で下から一桁とか)、英語の教材(新聞によく出ている(た?)やつ)などを買ってもらうが(親の方が必死だった)、やっぱり何もしなかった。どれくらいできなかったかというと、教科書の本文が暗号のように思えるくらい。授業やテストは、優しいクラスメートのおかげで、ぎりぎり何とかなっていた(期末の追試は受けたことがあるけど)。

転機が訪れたのは高校二年生。たまたま家族が見ていたスターウォーズを一緒に見ることになり、その面白さにはまったことに始まる。それまでは洋画を毛嫌いしていたので、スターウォーズさえ知らなかった。第一作目を見て(エピソード4)、すぐに、三作目までレンタルしてみた。字幕版を見ていたのだが、その時の自分の英語力などさておき、しゃべってる英語がそのまま分かるようになりたいなぁ、と、なぜか思ってしまった。そこで、買ってもらっただけで使っていなかった英語教材を使ってみよう、と思って勉強を始めた。その英語教材というのが、イングリッシュアドベンチャーの「家出のドリッピー」というやつ。

ちょっと話はそれるが、イングリッシュアドベンチャーは教材として見るとちょっとどうかと思うし(はっきり言って素材でしかない)、とにかく高いのでお勧めはしない(てか、いまでもあるのか?)。しかも、初級用は話の内容は大人向けではない(個人的には嫌いではないが)。ただ、オーソンウェルズをはじめ、朗読している人たちはうまいので、素材としてはいいんじゃないかと思う。もし中古でセットで2000~3000円くらいで見つかったら、聞いてみても面白いかもしれない(それ以上払うのはちょっとどうかと思う)。

内容的には中級向けの「追跡」の方がいいとは思うが、どのレベルの物でも、話の筋がちょっと、というのはいなめない。まあ、所詮シドニーシェルダン。これじゃなくて、一般の子供向けの本とオーディオブックで同じような感じになるけど、その場合は英語学習者向けではないので朗読スピードが結構速かったりする。イングリッシュアドベンチャーの(数少ない)良いところは、ゆっくりなのに、引き込まれるような朗読である点(個人的な感想ですw)。

で、話は戻って、どうやって勉強したか。その当時は勉強法なども分からず、しかも、イングリッシュアドベンチャーは自習教材としてまるで使えなかったので、頭を悩ませた結果行き着いたのが、辞書を引きながら付属の翻訳を頼りに全てを訳す、というもの。

今考えると、なんでこの方法?とは思う(他に思いつかなかったから仕方がない)。具体的には、ノートの左河に本文を書いて、右側に訳を書いていくという、とてもスタンダードな物。要は、辞書で単語を調べて日本語にしていくだけ。書くと簡単だが、最初は文法も単語もほとんど分からなかったので、翻訳を頼りにする部分が多かったし(この翻訳が結構くせ者だった。かなりの意訳)、ほぼ全ての単語を調べるような状態だったのでものすごく時間がかかった。でも、しばらく続けると、本当に暗号が解けるように話の内容が分かりだして(翻訳があったからだと思うが)、その先が知りたい、との思いからさらに続けるという好循環になっていった。今となっては大した分量ではないけど(薄い児童小説一冊分くらい)、半年くらいの間、毎日2時間くらいやって全てを訳した(12回分)。

そして、この作業中はひたすら朗読のカセット(当時はCDではない)をかけっぱなしにした。ずっとカセットを聞きながらやっていたけど、最後までちゃんと聞き取れるようになったわけではなかった。でも、毎日同じのを何回も聞いていたし(1回分が30分くらいだったか?)、原文を見ながらも聞いていたので、所々フレーズは聞き取れるようになっていた(ただし、上に書いたように朗読のスピードはかなり遅い)。

本当にこれしかしなかった(他の教科がおろそかになったとも言う)ので、英語の成績は上がった(学年最下位に近いところから、真ん中くらいまで)。ここで、勉強好きなら続けるところだろうけど、根っからの勉強嫌いのため、これが終わると英語「も」勉強しなくなった(部活は一生懸命やった)。ただし、文法のクラスの先生がものすごく怖い先生だったので、その予習はするようになったし、というか、予習ができるようになった!(それでも文法はよくわかっていなかったが)あと、もう一つのクラスも、教科書に何が書いてあるかが分かるようになったので、テストでの赤点の恐怖からは逃れられるようになった(こっちは、勉強した覚えはほとんどないが、この後追試は受けてない)。

これ以外に英語に関して何かしたとすれば、週末にスターウォーズを見ていたくらい。三作とも手に入れて、高校時代だけで旧3作を10回ずつ以上は見たと思う(でも、何を言っているか聞き取れていたという訳ではない)。

受験に向けて

次の転機は、高校三年になる直前くらい。進学の三者面談で親がいるところで、「今のままじゃ、二部(夜間)しか行けませんね」と言われてどうにかしないと、と思っていたところに、けがをして部活もできなくなり、春休みの時間を持て余すことになって勉強をすることを決意した。まあ、それほど成績がヤバかったということだが。

でも、受験に向けて英語をどう勉強していいか分からなかったので、まず何をしたかというと、受験生向けの雑誌などでどうやって勉強したかというのをいろいろ読んだ(この頃は、インターネットなんて物は普及していなかった)。当時、田舎でも、友達はほとんど塾に行っていたが、自分は行かなかった(結局、塾に行ったことがない)。これは、学校以外でも進んで勉強させられに行くなんて、勉強嫌いな自分としては考えられなかったから。

で、上に書いた勉強の成果で英語は何となく分かるようになっていたが、基礎がなかったので、本当に基礎から始めた。文法は基本的な文法問題集(基礎とかついてるやつ)を繰り返しやった。ただ、薄っぺらいやつじゃなくて、ある程度の量はあるけど、あまり難しい問題(重箱の隅をつついたようなやつ)とかがないものを使った。一回目はちゃんと説明まで読んで理解しながら進めた。これが目から鱗の連続だった。以前に辞書を引きながら和訳をしたことで何となく分かっていたことが実はそういうことだったのか、と。授業で聞いたこともあったけど、高三になって初めて、助動詞が何なのか、とか、完了形とは何者なのかということを理解した(し始めた、か)。

この問題集は一通り最後までやったら、それぞれの問題を三回連続して間違えなくなるまで繰り返した。章ごとではなく、本の最後まで行ってから最初に戻る、という方法で。穴埋めや多肢選択の受験に頻出するタイプの問題ばかりだったけど、何回もやるうちに答えを覚えて、すぐに答えられるくらいになって、三ヶ月くらいでほぼ間違えなくなった(少なくとも五、六回は繰り返した)。しばらく考えて分かっているうちは分かってるとは言わない、とか、そんなことを思ってた(実は、これが結構良かったんじゃないかと思う)。この後、別の文法の問題集にも手をつけたけど、問題が多すぎて飽きてやめてしまったので、秋頃からは最初の問題集をまた何回かやり直したりした。全部で十回はやっただろうか。

今でも、これはかなり良かったと思っている(個人的な感想ですw)。短期間に一通り基本的な文法を勉強したことで、文法項目として分かれている物の間にも関連性があったりするんだということを理解した(何と何がというのは、もう覚えていないが)。あと、何となく理解していたり、覚えていたフレーズがちゃんと文法構造を持っている、ということを理解して、頭の中でいろいろなものがつながったように感じた。あと、文法なんて、時間かけて分かった、とか思っても、実際使い物にならないので、こういう考え方を持てたというのは、それはそれで良かったかな、とも思う。

これと平行して、頻出構文みたいな本の例文を暗記したり、単語集(ターゲット1900)から単語を抜き出して、細切れの時間に覚えたりもした。ただ、構文暗記はどれだけ意味があったかはわからないし、ターゲットは1500語くらいまでで挫折した。この他にも長文問題集(といっても、受験用の長文は短い)などもやりながら、上記の朗読テープを聴いたり、その本を読んだりしていた(最後に全部のテキストが本になったものが送られてくる)。ターゲットさえ全部覚えられなかったが、この時期に基本的な単語を詰め込んだのは良かったんじゃないかと思う。平行して長文問題をこなすうちに、文章の中でも何回も見ることになったし。

こんな感じで、受験の頃には人並みには英語ができるようになっていた。まあ、そうは言っても、実は理系だったんで、理系にしてはできる方、というくらいではあったが。ちなみに、英語以外の教科もヤバかったので、英語にかけた時間は毎日2時間くらいだったかな。夏休みはもうちょっと多かった気がするけど。

ここまでが、受験まで。ここから先は、受験から解放されて、違う形で英語を勉強するようになった。ただ、よくある話で、大学に入ってしばらくは勉強なんてほとんどしなかったけど。あと、英語ができるようになったおかげで、大学に入れたけど、その後大きく人生の道を踏み外すことになる。

というわけで、「私の英語学習歴」〜 大学入学以降に続く。


2/24/2011

気持ちも新たに

お祭りがあるようなので、それに便乗という形でブログを再開してみます。

このブログ、元々は、MacでRubyとRubyCocoaをいじり始めたときに、そのつどメモを取っていこうと思って始めたんですが、スクリプトを書きながらメモをすると、考えがまとまらず、かと言って、ある程度スクリプトを書いてからになると分量が多すぎて、それに、ブログだと後で見にくい、ということがわかって、新たに「RubyCocoaメモ」というサイトをGoogle Sitesで作ってしまったので、ほぼこのブログは放置ということになってしまってました。

今まで長らく学生をしていたんですが、このたび、大学で英語教員になることになったので、そこで考えたことなど、また、大学教員なので研究もする(はず)ことになるので、その辺りでも、その時考えたことをまとめる場所にしようかと思います。

でも、一番のきっかけは、anfieldroadさんが呼びかけて、みんなで共通のお題でブログを書こう、という話になったので、それに乗っかってみただけという・・・。

第一回のお題は、「私の英語学習歴」らしいので、これから教える立場になることだし、自分の過去を振り返ってもいいかな、ということで、書いてみよう、と。でも、お題が出てからいろいろ考えてるけど、いろいろしたなぁ。といっても、英語をちゃんと意識して勉強したのは、10年くらい前までかな。それ以降は英語を勉強の対象ではなく、英語で勉強するようになったから。

あと、どうでもいいけど、ことえりが余り賢くないので、長い文章書くならATOKを買うかなぁ。昔のライセンスがあるから、アップグレードの値段で買えるはず。

そんな感じで、再開の第一回投稿を締めくくる、と(締まってない)。