3/10/2011

「私の英語学習歴」〜 別の道に迷い込んでから

ここから先は、自分で英語を勉強したというよりも、授業で英語を勉強するとか、英語で勉強することが多くなって行くんだけど、その辺りも、一度振り返るのもいいかな、ということで、続きを書いてみる。まあ、英語学習というのからは離れて行ってしまうので、英語学習の参考になるようなことはほとんどないと思う。

2つ目の大学

形の上では編入ということで、2つ目の大学に入ることになった。専攻は英語。編入だったけど、試験は一般入試と同じだったので、気分的には普通に入学したのと同じ感じだった。専攻もまったく違ったので、認められた単位も一般教養の一部くらいだったし。

この大学は、一年次にインテンシブの英語プログラムがあり、週に何時間も英語のクラスを取った。最初のクラス分けで上の方になってしまったので、帰国子女の人たちに囲まれて、英語がしゃべれない悲哀を味わった。

また、この時、始めてエッセイライティングなる物に出会った。それまでは、英語はインプット中心でアウトプットがほとんどなかった(英会話のときにしゃべるくらい)ので、エッセイを書くと言われても困った。しかも、何の間違いか、上の方のクラスに入ってしまったので、サマリーの書き方とか、パラグラフライティングの基礎、なんて所をすっ飛ばして(多少はあったが)、エッセイを書くという段階に入ってしまった。とはいえ、今から考えると大した長さでもないんだけど。

ライティングは、二年次にもクラスを取ったが、基本的にはプロセスライティングだった気がする。一年次のクラスでは、エッセイの大まかな構成についての話はあったが、ディスコースマーカーとかに重点を置いて、という感じはは余りなかったような気がする。とはいえ、昔の話なので、あったけど覚えてないだけかもしれない。

リーディングのテキストは、普通にというか、ペーパーバックだった。いわゆる日本人向けに作られた英語の教科書とかではなく、アメリカの大学一年生に読ませるような本だった気がする。まあ、読んでてわけ分からなかったことだけは覚えている。

これと平行して、専門の基礎クラスなんてのも取っていたけど、言語学入門のクラスのテキストが、いきなりFromkin&Rodmanだった。これまた面食らって、最初の頃はさっぱりわからなかったのを覚えている。ただし、授業は日本語で行われていたので、やっていること自体は全く分からなかった訳ではなかったが。

これ以降も、言語学、応用言語学、言語教育のクラスを取っていったのだが、日本語構文と日本語教授法以外の専門のクラスは全て英語の教科書だった。クラス自体も、アメリカ人の教授が英語でというのをいくつか取った。ただ、一番大変だったクラスは、生成文法のクラス。x-bar theoryまでしかなかったし、日本語での授業だったが、アメリカのいいとこの大学で教えた経験がある先生らしく、ものすごく大変だった。そうそう、RadfordのTransformational Grammarという赤い本だった。

ここまで読んで分かるように、学校絡みでは、英語を勉強するという意識がどんどん薄れて行って、英語「で」勉強するという形になった。まあ、専門が専門だけに、英語についていろいろ学んだのではあるが。

学校絡みで英語にたくさん触れていただけに、それ以外では趣味で英語に触れるくらいになった。字幕のないアメリカ映画を見たり、あとは、CBSドキュメント(今でもあるのか?)という、アメリカCBSの60 minutesを放送する番組やNBAの試合を英語の音声で見たりとかしたくらい。

この他にも教職を取り、教育実習に母校に戻ったのだが、英語をできない頃を知っている担任が指導教員になり、自分の記憶では文法訳読しかしてなかった気がするのだが、イギリス研修に行って英語で教えることに目覚めて、実習の授業を英語でさせられたり、AETとのティームチーチングをさせられたりとかあった。

専攻が英語だったため、卒論は英語で書くことになっていたのだが、指導教官が途中で辞めてしまって、路頭に迷い、別の指導教官を選んで、トピックを代えてみたものの、しっくり行かず、そんな中で取った言語テストのクラスで、これだ!とか思って、そのクラスの先生に相談してまたトピックを代えることになった。しかも、卒論提出の3ヶ月くらい前。ま、書き終えはしたが、指導教官にほとんど相談もせずに勝手にやったので、成績は見るも無惨な物だった。

卒業後は高校の英語教員をとか考えていたが、お世話になった先生や、英語クラスの先生に進路相談し、大学の方が向いていると説得され、しかも、留学しなさいとか言われてその気にあり、英語教育で行きたかったので、アメリカのTESOLでいいところは何処かを聞き、卒業後はTESOLで留学ということになった。

留学

まあ、この先も、英語教育について英語で勉強したので、自分のための英語の勉強とは思っていなかったが、教えるための英語の勉強はしなくてはいけなかったので、結局自分の英語の勉強にもなった。ただ、文法のクラス以外は、勉強法・教授法の勉強だったかと思う。で、文法のクラス(pedagogical grammar)で参考書として使った本でThe Grammar Bookというのがあるが、これは英語の先生にはぜひ一度目を通してほしいなぁ、と思う。持っていて損はない本かと。

MAで一番大変だったのは、curriculum developmentのクラス。needs analysisから始まって、カリキュラムを作り、ひとクラス分の授業計画やら、最後のアセスメントまでを考えて書く。しかも、それぞれについて理論的な裏付けを求められたので、その辺りも考えて書く、と。加えて、大量のリーディングがあったし。教材なんかも含めて、100ページ以上の大作が出来上がる、と。しかも、クラスのほとんどの学生がそれくらいの量を書いていたんだから、いかに大変なクラスだったか。まあ、今考えると、内容自体はたいしたことなかったりするのだが、その頃はそれでものすごく大変だった。

MAの時に唯一英語自体を勉強するクラスだったのは、ライティングのクラス。行った大学では、留学生も含めて、全ての大学院生がエッセイテスト(同じ物)を受けて、それに落ちるとライティングのクラスを取るということになっていた。留学生はほとんど受からなくて(周りでは一人しか知らない)、留学生ばっかりのライティングのクラスだった。そこでは、接続詞をどうやって使うかなど、実際に文章を論理的に書いて行くために必要な技法なんかもやった記憶があるが、細かいことは覚えてない。全体的に見るとプロセスライティングという感じだったような気がする。

MAを取った後は、アメリカの別の大学で言語テスト(学部は応用言語学だけど)でPh.Dを取るところまで行って、今に至る、と。まあ、アメリカにいたけど、ルームメイトが日本人だったり、そうじゃなくてもルームメイトも留学生で忙しかったりと、常に英語で生活していた訳でもない。学校を含めて外では英語を当然のように使ってたけど、アパートに帰ったら部屋にこもってたことの方が多かったし。なので、日常会話が一番できない。というか、話すこと全般がだめかな(日本語も含めて)。

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